脳腫瘍の男 20話

脳腫瘍の男と彼女はしばらく見詰め合っていました。

 

車の窓から覗いてる政界のドンは

奇跡のような出会いに胸打たれていました。

思いついた「閃き」を早く脳腫瘍の男に伝えたくて仕方がありませんでしたが

初めて恋した相手とのご対面シーンを邪魔する気はありません

 

そーっと様子を窺っていました。

 

すると

彼女は手招きをしているようです。

 

「僕そこに行っていいんですか?」と2階に聞こえるように大声で叫ぶと

 

彼女は首を縦に振りました。

 

脳腫瘍の男は政界のドンのほうをチラっと見ました。

政界のドンはあわてて

「行け!馬鹿!こっち見るな!行け」と合図を送ると

脳腫瘍の男は建物に入ってゆきました。

 

2階まで上がると

車椅子で廊下で待っていた彼女は

微笑んでいました。

 

脳腫瘍の男は英語の成績は、あまり良くなかったのですが

感性で英語を聞き分け喋る音楽的能力があります。

 

彼女は「Hello! Where are you from?

こんにちは。

どこから来たの?

近所に住んでるの?

ここいらでアジア人は珍しいから・・・」

と脳腫瘍の男に尋ねました。

 

脳腫瘍の男は「はい!日本から来ました。近くの別荘にいます」

と応えました

 

彼女は細い声で喋りだしました。

「あら。そうなのね。

どうして、こっちを見ていたの?

私はここに来て以来、この施設以外の人に合うのは初めてだから

好奇心かしら?

喋ってみたくなったの。

それに不思議なの。

あなたと会ったことがあるような気がして・・

ごめんなさいね

変なこと言ってしまって」

 

脳腫瘍の男は大きく首を横に振り

「変なことじゃないです

僕もあなたを何度も夢に見てるから・・・」

と言うと

口をつぐみました。

 

彼女はくすっと笑いました。

「夢?そうね。もしかして夢で逢ってるのかも知れないわね

ロマンティックだわ

ここでは、そんなジョーク、誰も言ってくれないんですもの。。」

そう言うと

毛糸の帽子を目深にかぶってる彼女の顔が暗くなりました。

 

脳腫瘍の男は慌てて

「あの・・ぼく、毎日、会いに来ていいですか!

きっと、あなたを笑わせます。

ぼく、ジョーク言います!」

と言うと

 

彼女は笑い出しました。

「ほんとうに変わった人ね。

いいわよ。

遊びにいらして。」

 

脳腫瘍の男は大喜びで建物から飛び出てきたと思いきや

政界のドンの待ってる車に乗り込みました。

 

政界のドンに抱きついてちゅーまでしました。

 

苦笑いする政界のドンは

言いました。

「お前さん、脳腫瘍のこと、すっかり忘れてるだろ??

俺のエイズが治ったのは誰のおかげだ??」

 

脳腫瘍の男は、はっとしました。

 

政界のドンは、さきほど閃いた名案を脳腫瘍の男に教えました。

「お前さんの脳腫瘍の分泌物で

俺の病気も治った

マウスの実験では末期の癌もどんな難病も治ったそうじゃないか。

と言うことは、彼女もお前さんの脳腫瘍のおかげで助かるってことじゃないか。

お前さんの実験研究した病院に電話して確認を取っておく。

きっとお前さんは彼女と出会う運命だったんだな。

良かったな!」

 

脳腫瘍の男は大喜びして、また政界のドンに抱きつきました。

 

ですが

まだ彼女とは出会ったばかり

脳腫瘍の男は自信なさそうに

「でも、こんなこと彼女は信じてくれるかな?」と

呟きました

 

政界のドンは

「俺を誰だと思ってる?

裏で上手くやるから

心配するな

でも色恋とコッチは別だ

ちゃんと惚れた女に思いを伝えて物にしろ!」

と脳腫瘍の男の肩をポンと叩きました。

 

 

 

つづく

脳腫瘍の男⑲

翌日、また、あの黒くて長くて立派な高級車に乗り込み 政界のドンは脳腫瘍の男を 目的の場所へ連れて行きました。 

 

そう。 脳腫瘍の男が夢で見た建物 芝生は綺麗に刈られていて 清潔そうな白い建物があり とても管理の行き届いた敷地です 

 

脳腫瘍の男は政界のドンに聞きました。 「ここはなんですか?」 

 

政界のドンは 暗い表情で応えました。 「ここはホスピスだ。 末期のがん患者や 余命を宣告された人たちの最後の砦だ 

 

俺のおふくろも病気で苦しんで死んだだろ? だから、俺の別荘の近くにこんな陰気で辛気くさいもんが出来やがって!と 出来た当初は抗議までしたんだ。 

 

お蔭で良く覚えてる それでお前さんの絵を見てびっくりしたんだ 

 

お前さんの惚れた女は、ここの患者だな もう、助からない命と言うことだ」 

 

 

脳腫瘍の男は顔が青ざめました 

 

「あの人は病気なのですか?余命幾許もないのですか! 僕の初恋なのに・・・」 

 

政界のドンは 「おい。まだ、夢の女に会う前から落ち込むな 現実を確かめてから落ち込め!」 と肩をたたき気合を入れてやりました 

 

脳腫瘍の男はおずおずと車から降りて 夢と全く同じ場所で建物を見上げていました 

 

とにかく初めて心ときめく人に会いたかった あの夢は現実なのか? 確かめたかったのです。 

 

そして その時、2階の窓から誰か、こちらを見てる気配を感じました。 

 

そう 夢に出てきた女性です 

 

首は細く長く 帽子をかぶっています 

 

政界のドンも車の窓から様子を覗っていました ゴクンと唾を飲み込みました 脳腫瘍の男が描いた絵の女性とそっくりな人が 実際に目の前にいる。 

 

全く同じ景色、建物、同じ女性 持ってきていた絵と目の前にある状況を見比べながら 流石の政界のドンも、ここまで次々と不思議なことが続き ぞっとして身震いをしました。 

 

 

脳腫瘍の男は夢に出てきた女性に会えて ビックリするのかと思いきや まるで、懐かしい友人にあったような とても穏やかな気持ちで彼女を見上げていました。 

 

 

お互い、目があいました その瞬間、脳腫瘍の男は微笑んで手を振りました 

 

本当に懐かしい優しい気持ちだったのです。 

 

窓から見下ろす彼女は 少し驚いていましたが 不思議なことに 彼女も笑顔で手を振りかえしました 

 

政界のドンは 二人の様子を見て「ヤタ!」と声を出して喜び 運転手にも「お前、今のみたか!あいつ、やったな!」と 子供の用にはしゃぎました 

 

そして 政界のドンは 「もしかして・・・」と呟きました ある名案が浮かんだのです。 

 

つづく 

脳腫瘍の男⑱

すると政界のドン 「おい!もう直ぐだぞ。何ぼーっとしてるんだ?流石に疲れたか?」

 脳腫瘍の男は 「彼女に会えるんですね!今からあの人のところにいけるんですね!」

 政界のドン 「何をふざけた事言ってるんだ!今、何時だと思ってるんだ? もう夜中だぞ! 俺はなぁ、腹も減ってるし、疲れてるんだ。 今日はとっとと別荘で飯食って寝るぞ!明日行くから心配するな! なんて顔してやがる!」

 脳腫瘍の男は不安だったのです。 

あの人の泣き出しそうな悲しい表情が気になって仕方ありませんでした。 

でも、確かに、こんな真夜中に行っても迷惑というもの。

 しかも、夢に見ました!なんて・・・彼女にどう言えばいいのでしょう?

 脳腫瘍の男は政界のドンについてゆくしかありませんでした。 

 

別荘に着いたとは言え、敷地が広すぎて、入り口の門から建物が見えるところまで、やたら遠く感じるのは夜だからでしょうか? 

それとも本当に政界のドンの別荘の敷地がだだっ広いのか? まるでお城のようです。 ようやく建物に着くとお付の人が車のドアを開けてくれました。 

 

政界のドンは、とにかくお腹がすいていたので足早に建物の中へ入ってゆきました。

 ぼーっとしてる脳腫瘍の男に 「何してる!早く入って来い!」 

声を掛けられはっとする脳腫瘍の男も言われるがままについてゆきました。

 

 玄関はキラキラ輝いています。 

シャンデリアやら裸の彫刻やら、なんだか昔、何処かで見たような絵が飾ってありました。 

又、自慢げに政界のドンは「この絵はなぁ~」と説明し始めましたが、流石に、いつもの自慢話も空腹には勝てません。

 政界のドンはお付の人に 「コックを呼べ」そう命令したのですが、

なにせお忍び旅行。 急に呼べと言われても困るお付の人。 

政界のドンは 「だったらメイドがいるだろ?」 

掃除は毎日しているので、どの部屋も綺麗です。 

ところが、、今夜はもう誰もいません。

 食事の用意もしていません。 お腹がすいて余計に苛立つ政界のドン 

 

そこへ脳腫瘍の男が言いました。 

「キッチンはあるんですよね?僕が料理作りますから、キッチンに案内してください」

 政界のドンは「お前さんの飯なんぞ・・・」と言いかけましたが、やはり空腹には勝てません。 

 

本当に郊外の静かな場所。 近くの盛り場からも1時間はかかるような場所です。 

 

仕方なくお付きの人に脳腫瘍の男をキッチンへ案内させました。 プロ使用ですからキッチンはものすごく立派でした。 

 

大きな業務用の冷蔵庫。 開けてみたら空っぽでした。 当然です。 何年かぶりに来たのですから。 

 

政界のドンは 「それでも米だけは毎年、送られてるはずだ!後は、ちきしょう!ワインセラーにワインがあるから持って来い!」 半ばヤケクソです。 

 

脳腫瘍の男はキッチンを色々、見回しました。 

戸棚を開けたり引き出しを開けたり。

 すると、調味料や大きな鍋やフライパン等は見つかりましたが、肝心な料理する食材が見つかりません。 

すると、ワインセラーからワインを持ってきたお付の人が 「お米がワインセラーに置いてありました!」 

 

政界のドンは不貞腐れて 「米だけ見つけても腹は膨れん!」

 でも脳腫瘍の男はお米を見て大喜び

「わ~コシヒカリじゃないですか!しかも新米ですよ。 本当に毎年送ってたんですね。ちょっと待ってて下さい。さっき、奥に土鍋を見つけたんですよ!」 

 

そう言うと勝手に作り始めました。 

政界のドンは相変わらず不貞腐れてワインをがぶ飲みしながら 

「米だけ炊いてどうする? おかずも何にもないのに。 だから、あの時、飯食って行こうって言ったんだ!くそ!」 と脳腫瘍の男に八つ当たり。 

 

だけども脳腫瘍の男はマイペースにお米を洗っていました。

 政界のドンは 「つまみ一つもないのか!」 

もうお腹がすいて、だれかれ構わず当たっていましたが 、

脳腫瘍の男は何も聞こえていないかのよう。 

 

暫くして土鍋でお米が炊き上がりました。 蓋を開けたらふっくらご飯。

 政界のドンもご飯のにおいに思わずお腹がぐるぐるっと鳴りました。 

だけども海苔も梅干すらないのです。 

 

脳腫瘍の男はあつあつのご飯を手に取るとお結びを握り始めました。 むす~っと遠くで見守る政界のドン。 

 

脳腫瘍の男は 「塩むすびです。きっと美味しいですよ」

 そう言って政界のドンに差し出すと

 政界のドンは 「この俺に塩むすびだと!ふざけるな!俺を誰だと思ってるんだ!」 

そう怒鳴ったものの、塩むすびがなんとも旨そうに見えるのでした。 

 

「ちっ!判ったよ!食うよ!」 

そう言って塩むすびを乱暴に手に取ると、

少し躊躇しつつも一口食べました。 

 

又、もう一口食べました。 

 

又、もう一口食べました。 

 

すると政界のドンの目から涙が零れ落ちました。 

 

脳腫瘍の男はびっくりしてしまいました。

 「僕のお結び、不味かったのでしょうか?」 

脳腫瘍の男も食べてみました。 「あ~とっても美味しいや。」 

 

でも、政界のドンは食べながらも泣いています。

 「ちきしょう。ちきしょう。」 そう呟き出しました。 

 

「塩むすびなんて・・・俺が貧しかった頃、ガキの頃だ。 米だって満足に食えなかった頃、お袋がな、こっそり何処からか貰ってきた米で塩むすび作ってくれた。

 クソ!思い出したくないこと思い出させやがって! 

お袋の作った塩むすびより、お前さんの作った塩むすびのほうが上等だけど、、、おんなじ味がする。」

 

 政界のドンは泣きながら怒鳴りながら塩むすびを食べている光景に戸惑う脳腫瘍の男は どうしていいのか、わかりませんでした。 

 

ただ突っ立って政界のドンを見つめていました。 

政界のドンは続けました。 

「俺の親父は戦争へ行って死んだんだ。

俺の世代では珍しくもない事だ。 

でもな、その後、お袋は俺と下の兄弟たちを食わせるのに必死で働いたんだ。 

昼も働いて働いて、上夜はアメリカ兵相手のパンパンさ。

 結局は病気になって死んだんだ。

 ギリギリまで働いてたからな、倒れた後は見る見る弱っていって、

苦しんで苦しんで死んだんだ。 

 

金もないし医者にも行けないし何の病気で死んだのかも当時のお俺にはわからなかったけどな。

 でもな、お袋、こっそり金貯めてたんだ。

 自分の死期に気づいてたんだろうな。 

俺も働いてたけど、その金で学校に行く事にしたんだ。 

そこからが俺の成り上がり人生の始まりだ。

 汚い事だろうと何だろうと這い上がるために何でもしてきた。

 お袋が知ったら悲しむような事だ。

 でも、下には弟と妹がいたんだ。

 未だ幼かったから、里子に出てった。 

俺が政治と言う世界に飛び込んで地元でも多少は知られるようになったんだ。 

そしたらな、里子の出てった弟と妹の行方がわかったんだ。 どうなったと思う?」 

 

脳腫瘍の男は「わかりません・・・」 

 

政界のドン 「無縁仏さ。 里子に出されて毎日こき使われて散々だったらしい。

 2人で心中したんだそうだ。 

せめて骨だけも。そう思ったさ。 

なのに、無縁仏だとよ。 

せめて、せめて、墓だけでも建てたかったのにな。

 もし生きてたら、お前さんの、この塩むすびだけでも食わせたかったな。

 お袋の味とおんなじだぞってなぁ。 

 

俺は忘れてた。 いや、忘れようとしたんだ。

 

 お前さんはつくづく不思議な男だ。 小憎らしい事しやがって・・・」 

そこまで話すと、政界のドンは泣き崩れてしまいました。 

 

「あの、ぼ、ぼく、、ごめんなさい。 とっても悲しいお話でした。僕も、、悲しいです」 そう言うと脳腫瘍の男まで泣き出してしまいました。 

 

大の大人が真夜中のフロリダの別荘で塩むすびを食べて泣いている。

 

 政界のドンは 「おいおい、お前さんまで泣く事ないだろ?」 

そう言うと、くすっと笑いました。

 「なんだかな。お前さんといると俺の調子が狂っちまうな。ワッハハハ! うん。旨いぞ!今まで食ったどんなご馳走より旨いぞ。 お前さんの塩むすび。 もう2~3個食わせてくれ」 

 

政界のドンの言葉に脳腫瘍の男は泣きべそかきながらも 「はい。」そう応えると泣きながらも塩むすびを握ったのでした。 

 

誰も悪いことするために生まれてきたわけではありません。 そして、気づきが遅くとも きっと「お結び」だけで 何か大事な感覚をを取り戻すのかも知れません 

 

そんな「お結び」のような気づきは いつだって 「そこらへん」にあるのです 

 

つづく

脳腫瘍の男⑰

長旅の疲れか、政界のドンはブランディを飲んで直ぐに寝てしまいました。 

 

脳腫瘍の男は同じような景色が過ぎてゆくのを黙って眺めていました。

 賑やかな街中は歩いてる人達は開放感に溢れ楽しそうに見えました。 

暫くは街の灯りで海が見えていました。 車はハイウェイを真っ直ぐ走っています。

 物凄いスピードで走ってるのに進んでる感じがしません。

 ハイウェイとは、そういうものです。 

 

脳腫瘍の男は目を閉じて夢の中の恋焦がれる人と逢える事を楽しみにしていました。

 不安もなく、きっと逢えると確信していました。 

でも、まさか、こんなに遠くまで逢いに来る事になるとは彼自身も思ってもみなかったことですけど。 

 

脳腫瘍の男は何度も時計を見ました。 

「まだ、あれから30分しか経ってないや・・・」

 同じ景色が過ぎ行く中、変化を感じられるのは秒針だけですから、ついつい時計を見てしまいます。 

 

「どれくらい走ってるのだろう?相当長い時間走ってるように思えるけれど、」 

お付の人も運転手も一言も喋りません。 

 

テレビもあったのだけど脳腫瘍の男は見る気になれません。 

 

彼の心は夢の中で見た女性の事だけしかないのです。 

 

いつもの彼ならこんな時間でも、何もする事がない時間でも楽しく過ごす事が出来ます。

 絵を描いたり想像に耽ったり、ちゃんとスケッチブックも持っているのだから、

いつものように絵を描いていれば時間はあっという間に過ぎます。 でも、絵を描く気分になれませんでした。 

 

それでもスケッチブックを開きました。 飛行機の中で描いた夢の中の女性の絵、その前に描いた夢の中の女性の絵、その前の前に描いた夢の中の女性の絵。 

 

そっくりに描いてるのだからどれも同じ絵だけれど、一時期は毎晩毎晩彼女の夢を見たほどですから描く度に細かい部分まで描かれるようになったのです。 

 

でも、スケッチブックの絵の景色に似た景色に相変わらず近づいていません。 夜中のハイウェイは誰にとっても長く感じるものです。 増してや脳腫瘍の男には、もっと長く感じた事でしょう。 

 

夢であった女性と本当に出会えるのかもしれないのだから。 

 

 

郊外の別荘に到着するまで脳腫瘍の男は眠ったつもりはありません。 なのに夢を見ました。 起きてるのに目の前に映像が浮かびました。 

 

夢なのでしょうか? 

 

彼が見たのはいつも夢に出て来るあの女性でした。 

でも何かが違うのです。 

いつも微笑んでいるのに・・・。 

悲しい表情の彼女の顔。

 今にも泣きそうです。 

手には手鏡。 

 

「何故、悲しい表情なんだろう?いつも僕が見るあの人は微笑んでいたのに。」 

 

つづく

脳腫瘍の男⑯

成田空港に向かう車の中、脳腫瘍の男はちょっぴり緊張していました。 理由も目的もさっぱりわからないのですから。 

 

車が空港に着くや否や直ぐにお付の人が迎えに来ました。 

 

空港では一応政界のドン、変装でしょうか? お忍びと言うますか、

プライベートとでも言いましょうか、薄いピンクのポロシャツに黄土色のスラックスとラフな格好にハンチングを被っていました。 

 

それでも政界のドンには、ただならぬオーラがあります。 

 

脳腫瘍の男がリュックを背負っているので 政界のドンは「身一つでいいって言っただろう?」 そう言いましたが、 脳腫瘍の男は 「スケッチブックと色鉛筆と絵の具とカメラと財布だけ持って来たんですけど、あ、勿論パスポートも持ってきましたよ。」 と笑顔で返され政界のドンも 「やれやれピクニックじゃないんだぞ。」と呆れ顔でした。 

 

飛行機に搭乗すると 脳腫瘍の男は 手荷物のリュックからスケッチブックと色鉛筆を出し急に何かを描き始めました。 

 

そうです。 3ヶ月間もの眠りのときに毎晩毎晩出てきた女性の絵です。 

 

今回は色鉛筆で描いたので更に鮮明な絵です。 

 

政界のドンはごくりと唾を飲みました。 脳腫瘍の男は「この人とフロリダと関係があるんですか?」 

 

政界のドンの顔は曇りました。 そして、こう言いました。 

 

「フロリダに俺の別荘があるんだ。

 とにかく着いたら判る。今あまり言いたくない。すまん。」

 脳腫瘍の男もそれ以上は聞きませんでした。

 政界のドンの表情が寂しそうだったからです。 

 

 

アトランタで乗り換え、ようやく夜、マイアミ空港に到着した脳腫瘍の男と政界のドン、そしてお付の人数名。 

 

脳腫瘍の男にとっては、初めての風景。何もかも大きくて上ばかり見上げて 御のぼりさん状態でしたが、 政界のドンは少々苛立っていました。 「長旅で疲れたぞ。何処かで飯でも食いたいな。」 

 

脳腫瘍の男は 「え!直ぐにその別荘に連れてってくださいよ!」 と返しました。 

 

政界のドンは 「別荘は郊外だ。此処から車で4時間以上も掛かる。 マイアミシティ、ちょいと楽しんでからでもいいじゃないか?」 

 

でも、脳腫瘍の男はこう言いました。

 「僕、待てません。今日中にでも行きたいんです!お願いします!僕が行きたいのは、この絵の場所です!」そう言って夢で見た場所の絵を政界のドンに見せました。 

 

実は政界のドンは直ぐに行きたがらなかったのです。 

長旅の疲れだけではありませんでした。 

 

政界のドンの顔が曇りましたが脳腫瘍の男の目を見て 

「判った。そんな目で見るなよ。 お前さんに言われると、この俺も弱いんだ。仕方がないな。 お前さんの夢、確認しに、ここまで来たんだから・・・ お前さんの脳腫瘍の分泌物のせいかな? 俺はすっかり性格が変わっちまったみたいだな」 そう言ってお付の人に直ぐ車を用意させました。 

 

これまた黒くて長くて大きな立派な車です。 

 

車内は、脳腫瘍の男は見たこともないほど広くて座席はまるでフカフカのソファーのようです。 

 

政界のドンは 自分に言い聞かせるように 勢いよく言いました 「今から行くぞ!本当に長旅になっちまった!」 

 

つづく 

脳腫瘍の男⑮

脳腫瘍の男はびっくりしました。 「フロリダ!?え?どうしてフロリダなんですか?ぼ、僕も行くんですか?」 

 

政界のドンは 「そりゃそうだ。お前さんが来なきゃ意味がない。空港券はこっちで手配する。 

俺とお前さんの本当の意味での『夢』が掛かってる。」 

 

脳腫瘍の男は何が何だか判らず政界のドンに理由を尋ねるのですが

政界のドンは 「何も聞くな。フロリダに行けば判る事だ。俺もこんな事で行動起こすなんて自分でも変な気分だ。荷物なんか要らないから今週中には行くぞ。 身一つでいい。 金も俺が持ってるから気にするな。」 

 

脳腫瘍の男は突然の事に驚くばかりです。 

 

あたふたする脳腫瘍の男をアパートまで送った帰りの車の中、 政界のドンは一言も口を利いてくれませんでした。 

 

脳腫瘍の男はアパートに帰っても中々寝付けませんでした。 「フロリダに何があるんだろう?」 

 

ようやく空が白んで眠りに入った脳腫瘍の男の部屋に電話の音が鳴り響きびっくりして起きました。 

 

政界のドンからでした。 「明日には行くぞ。迎えに行かせるから俺は成田で待ってる。パスポート忘れるなよ!」 

 

そう言うと脳腫瘍の男が「明日ですって?」そう返事をする間もなくガチャンと電話が切れました。 

 

脳腫瘍の男は慌てました。 急に言われても海外旅行ですから普通パスポートだけ持っていくという感覚はありません。 

 

旅行につき物のカメラだのフロリダの「地球の歩き方」やらのガイドブック、「あ、パスポート、パスポート!」脳腫瘍の男の頭の中はぐるぐる部屋の中であたふた。 

 

でも、ふと「フロリダって何処?」 

 

 

一応パソコンもあるのだからネットで検索すれば出てくるものなのに、こういうとき人間は慌ててしまって、彼は「合羽も必要かな?いや、折り畳み傘の方が便利かな?あ!お腹壊した時のお薬とか必要かな?」 

 

そんな事をぶつぶつ言いながら部屋の中をぐるぐるしてました。 

でも落ち着いて政界のドンの言葉を思い出しました。 

 

「そう言えば身一つでいいと言ってたなぁ・・・ いっぱい持って行ったら怒られそうだなぁ。。。 」

 そして、両親にフロリダに行く事になったと電話で報告しました。 

 

両親は内心、心配していましたが息子が行くというのだから反対はしません。 

 

理由も説明出来ない彼は困っていました。 そりゃそうです。 本人にも判らないのですから。 

 

そんな息子の困った様子に両親は何も聞かず「気をつけて行ってらっしゃい」 とだけ言ってくれました。 

 

彼は何だか両親のその一言に安心して昼寝してしまいました。 

 

翌朝、又、あの真っ黒な高級車が来ました。 脳腫瘍の男は車の音に気付いて直ぐ小さなリュック背負って外に出ました。 「ガス電気よーし!後は戸締りよーし!」 そう言って車に乗り込みました。 

 

つづく 

脳腫瘍の男⑭

脳腫瘍の男は政界のドンとお店の主人のいるカウンター席に来ました。

 男は未だお店の主人とちゃんとお話が出来なかったので、

 まずは退院してもう元気だと言う事を説明したかったし、お礼も言いたかったのです。 

「無事退院して元気です。心配かけてしまってすみませんでした。」 

そういうとお店の主人は 「経緯は聞いたよ。安心した。本当に元気そうだ。音聞けば判るよ。」 

 

そのとき 小奇麗な若い女性が来て脳腫瘍の男に 

「演奏とっても素敵だったわ。わたしに一杯おごらせて。」 と言われ、

これまた困って 「僕お酒飲めませんから、いいです。」 と言うと『カチン』と来たその女性はその場をぷいっと去って行きました。 

 

 

政界のドンは 「馬鹿だな。中々いい女だったじゃねえか?あのケツ見ろよ。

ありゃ、お前さんなら落とせるって自信たっぷりだったからなぁ、

プライドが傷ついたんだよ。 まぁ、仕方ないさ。お前さん女性には興味ないんだから・・・」 と脳腫瘍の男に言うと、 ふと入口の彼が描いた絵を思い出した政界のドン。 

 

「おい。お前さん、 この絵もバンドのメンバーに会ったこともないのに描いたんだって?

 もしかして予知能力とか、そういう力でもあるんじゃないのか?

 夢で会う女性って描けるかい?

あんなべっぴんさんも興味ない奴が恋する女ってのに興味が湧いちまったぜ。」 

 

脳腫瘍の男は 「はい。目を瞑れば鮮明に浮かんでくるほどです。 描いてみたいです!」

 するとバンドのメンバーに未だ使ってない楽譜に鉛筆でそれはそれは見事な細密画を描きました。 

 

それを見た政界のドン。 持ってたグラスを落としました。 ガッチャ-ン! 

 

政界のドンは 「お前さん、パスポートは持ってるか?」 そう訊ねると、 

脳腫瘍の男は 「はい。去年、社員旅行でグアムに行ったんです。 取引先が旅行代理店で売り残りのチケットに困ってまして、 それでうちの会社が買い取る事になってですね・・・」 

 

「あー!そんな話はどういい!とにかく、パスポートはあるんだな?」 政界のドンは苛付きながらも訊ねると 「はい。」 と脳腫瘍の男が応えました。 

政界のドンは彼にこう言いました。 「今週中にフロリダに行くぞ。お前さんもだ。」 

 

つづく