脳腫瘍の男⑯

成田空港に向かう車の中、脳腫瘍の男はちょっぴり緊張していました。 理由も目的もさっぱりわからないのですから。 

 

車が空港に着くや否や直ぐにお付の人が迎えに来ました。 

 

空港では一応政界のドン、変装でしょうか? お忍びと言うますか、

プライベートとでも言いましょうか、薄いピンクのポロシャツに黄土色のスラックスとラフな格好にハンチングを被っていました。 

 

それでも政界のドンには、ただならぬオーラがあります。 

 

脳腫瘍の男がリュックを背負っているので 政界のドンは「身一つでいいって言っただろう?」 そう言いましたが、 脳腫瘍の男は 「スケッチブックと色鉛筆と絵の具とカメラと財布だけ持って来たんですけど、あ、勿論パスポートも持ってきましたよ。」 と笑顔で返され政界のドンも 「やれやれピクニックじゃないんだぞ。」と呆れ顔でした。 

 

飛行機に搭乗すると 脳腫瘍の男は 手荷物のリュックからスケッチブックと色鉛筆を出し急に何かを描き始めました。 

 

そうです。 3ヶ月間もの眠りのときに毎晩毎晩出てきた女性の絵です。 

 

今回は色鉛筆で描いたので更に鮮明な絵です。 

 

政界のドンはごくりと唾を飲みました。 脳腫瘍の男は「この人とフロリダと関係があるんですか?」 

 

政界のドンの顔は曇りました。 そして、こう言いました。 

 

「フロリダに俺の別荘があるんだ。

 とにかく着いたら判る。今あまり言いたくない。すまん。」

 脳腫瘍の男もそれ以上は聞きませんでした。

 政界のドンの表情が寂しそうだったからです。 

 

 

アトランタで乗り換え、ようやく夜、マイアミ空港に到着した脳腫瘍の男と政界のドン、そしてお付の人数名。 

 

脳腫瘍の男にとっては、初めての風景。何もかも大きくて上ばかり見上げて 御のぼりさん状態でしたが、 政界のドンは少々苛立っていました。 「長旅で疲れたぞ。何処かで飯でも食いたいな。」 

 

脳腫瘍の男は 「え!直ぐにその別荘に連れてってくださいよ!」 と返しました。 

 

政界のドンは 「別荘は郊外だ。此処から車で4時間以上も掛かる。 マイアミシティ、ちょいと楽しんでからでもいいじゃないか?」 

 

でも、脳腫瘍の男はこう言いました。

 「僕、待てません。今日中にでも行きたいんです!お願いします!僕が行きたいのは、この絵の場所です!」そう言って夢で見た場所の絵を政界のドンに見せました。 

 

実は政界のドンは直ぐに行きたがらなかったのです。 

長旅の疲れだけではありませんでした。 

 

政界のドンの顔が曇りましたが脳腫瘍の男の目を見て 

「判った。そんな目で見るなよ。 お前さんに言われると、この俺も弱いんだ。仕方がないな。 お前さんの夢、確認しに、ここまで来たんだから・・・ お前さんの脳腫瘍の分泌物のせいかな? 俺はすっかり性格が変わっちまったみたいだな」 そう言ってお付の人に直ぐ車を用意させました。 

 

これまた黒くて長くて大きな立派な車です。 

 

車内は、脳腫瘍の男は見たこともないほど広くて座席はまるでフカフカのソファーのようです。 

 

政界のドンは 自分に言い聞かせるように 勢いよく言いました 「今から行くぞ!本当に長旅になっちまった!」 

 

つづく