脳腫瘍の男⑱

すると政界のドン 「おい!もう直ぐだぞ。何ぼーっとしてるんだ?流石に疲れたか?」

 脳腫瘍の男は 「彼女に会えるんですね!今からあの人のところにいけるんですね!」

 政界のドン 「何をふざけた事言ってるんだ!今、何時だと思ってるんだ? もう夜中だぞ! 俺はなぁ、腹も減ってるし、疲れてるんだ。 今日はとっとと別荘で飯食って寝るぞ!明日行くから心配するな! なんて顔してやがる!」

 脳腫瘍の男は不安だったのです。 

あの人の泣き出しそうな悲しい表情が気になって仕方ありませんでした。 

でも、確かに、こんな真夜中に行っても迷惑というもの。

 しかも、夢に見ました!なんて・・・彼女にどう言えばいいのでしょう?

 脳腫瘍の男は政界のドンについてゆくしかありませんでした。 

 

別荘に着いたとは言え、敷地が広すぎて、入り口の門から建物が見えるところまで、やたら遠く感じるのは夜だからでしょうか? 

それとも本当に政界のドンの別荘の敷地がだだっ広いのか? まるでお城のようです。 ようやく建物に着くとお付の人が車のドアを開けてくれました。 

 

政界のドンは、とにかくお腹がすいていたので足早に建物の中へ入ってゆきました。

 ぼーっとしてる脳腫瘍の男に 「何してる!早く入って来い!」 

声を掛けられはっとする脳腫瘍の男も言われるがままについてゆきました。

 

 玄関はキラキラ輝いています。 

シャンデリアやら裸の彫刻やら、なんだか昔、何処かで見たような絵が飾ってありました。 

又、自慢げに政界のドンは「この絵はなぁ~」と説明し始めましたが、流石に、いつもの自慢話も空腹には勝てません。

 政界のドンはお付の人に 「コックを呼べ」そう命令したのですが、

なにせお忍び旅行。 急に呼べと言われても困るお付の人。 

政界のドンは 「だったらメイドがいるだろ?」 

掃除は毎日しているので、どの部屋も綺麗です。 

ところが、、今夜はもう誰もいません。

 食事の用意もしていません。 お腹がすいて余計に苛立つ政界のドン 

 

そこへ脳腫瘍の男が言いました。 

「キッチンはあるんですよね?僕が料理作りますから、キッチンに案内してください」

 政界のドンは「お前さんの飯なんぞ・・・」と言いかけましたが、やはり空腹には勝てません。 

 

本当に郊外の静かな場所。 近くの盛り場からも1時間はかかるような場所です。 

 

仕方なくお付きの人に脳腫瘍の男をキッチンへ案内させました。 プロ使用ですからキッチンはものすごく立派でした。 

 

大きな業務用の冷蔵庫。 開けてみたら空っぽでした。 当然です。 何年かぶりに来たのですから。 

 

政界のドンは 「それでも米だけは毎年、送られてるはずだ!後は、ちきしょう!ワインセラーにワインがあるから持って来い!」 半ばヤケクソです。 

 

脳腫瘍の男はキッチンを色々、見回しました。 

戸棚を開けたり引き出しを開けたり。

 すると、調味料や大きな鍋やフライパン等は見つかりましたが、肝心な料理する食材が見つかりません。 

すると、ワインセラーからワインを持ってきたお付の人が 「お米がワインセラーに置いてありました!」 

 

政界のドンは不貞腐れて 「米だけ見つけても腹は膨れん!」

 でも脳腫瘍の男はお米を見て大喜び

「わ~コシヒカリじゃないですか!しかも新米ですよ。 本当に毎年送ってたんですね。ちょっと待ってて下さい。さっき、奥に土鍋を見つけたんですよ!」 

 

そう言うと勝手に作り始めました。 

政界のドンは相変わらず不貞腐れてワインをがぶ飲みしながら 

「米だけ炊いてどうする? おかずも何にもないのに。 だから、あの時、飯食って行こうって言ったんだ!くそ!」 と脳腫瘍の男に八つ当たり。 

 

だけども脳腫瘍の男はマイペースにお米を洗っていました。

 政界のドンは 「つまみ一つもないのか!」 

もうお腹がすいて、だれかれ構わず当たっていましたが 、

脳腫瘍の男は何も聞こえていないかのよう。 

 

暫くして土鍋でお米が炊き上がりました。 蓋を開けたらふっくらご飯。

 政界のドンもご飯のにおいに思わずお腹がぐるぐるっと鳴りました。 

だけども海苔も梅干すらないのです。 

 

脳腫瘍の男はあつあつのご飯を手に取るとお結びを握り始めました。 むす~っと遠くで見守る政界のドン。 

 

脳腫瘍の男は 「塩むすびです。きっと美味しいですよ」

 そう言って政界のドンに差し出すと

 政界のドンは 「この俺に塩むすびだと!ふざけるな!俺を誰だと思ってるんだ!」 

そう怒鳴ったものの、塩むすびがなんとも旨そうに見えるのでした。 

 

「ちっ!判ったよ!食うよ!」 

そう言って塩むすびを乱暴に手に取ると、

少し躊躇しつつも一口食べました。 

 

又、もう一口食べました。 

 

又、もう一口食べました。 

 

すると政界のドンの目から涙が零れ落ちました。 

 

脳腫瘍の男はびっくりしてしまいました。

 「僕のお結び、不味かったのでしょうか?」 

脳腫瘍の男も食べてみました。 「あ~とっても美味しいや。」 

 

でも、政界のドンは食べながらも泣いています。

 「ちきしょう。ちきしょう。」 そう呟き出しました。 

 

「塩むすびなんて・・・俺が貧しかった頃、ガキの頃だ。 米だって満足に食えなかった頃、お袋がな、こっそり何処からか貰ってきた米で塩むすび作ってくれた。

 クソ!思い出したくないこと思い出させやがって! 

お袋の作った塩むすびより、お前さんの作った塩むすびのほうが上等だけど、、、おんなじ味がする。」

 

 政界のドンは泣きながら怒鳴りながら塩むすびを食べている光景に戸惑う脳腫瘍の男は どうしていいのか、わかりませんでした。 

 

ただ突っ立って政界のドンを見つめていました。 

政界のドンは続けました。 

「俺の親父は戦争へ行って死んだんだ。

俺の世代では珍しくもない事だ。 

でもな、その後、お袋は俺と下の兄弟たちを食わせるのに必死で働いたんだ。 

昼も働いて働いて、上夜はアメリカ兵相手のパンパンさ。

 結局は病気になって死んだんだ。

 ギリギリまで働いてたからな、倒れた後は見る見る弱っていって、

苦しんで苦しんで死んだんだ。 

 

金もないし医者にも行けないし何の病気で死んだのかも当時のお俺にはわからなかったけどな。

 でもな、お袋、こっそり金貯めてたんだ。

 自分の死期に気づいてたんだろうな。 

俺も働いてたけど、その金で学校に行く事にしたんだ。 

そこからが俺の成り上がり人生の始まりだ。

 汚い事だろうと何だろうと這い上がるために何でもしてきた。

 お袋が知ったら悲しむような事だ。

 でも、下には弟と妹がいたんだ。

 未だ幼かったから、里子に出てった。 

俺が政治と言う世界に飛び込んで地元でも多少は知られるようになったんだ。 

そしたらな、里子の出てった弟と妹の行方がわかったんだ。 どうなったと思う?」 

 

脳腫瘍の男は「わかりません・・・」 

 

政界のドン 「無縁仏さ。 里子に出されて毎日こき使われて散々だったらしい。

 2人で心中したんだそうだ。 

せめて骨だけも。そう思ったさ。 

なのに、無縁仏だとよ。 

せめて、せめて、墓だけでも建てたかったのにな。

 もし生きてたら、お前さんの、この塩むすびだけでも食わせたかったな。

 お袋の味とおんなじだぞってなぁ。 

 

俺は忘れてた。 いや、忘れようとしたんだ。

 

 お前さんはつくづく不思議な男だ。 小憎らしい事しやがって・・・」 

そこまで話すと、政界のドンは泣き崩れてしまいました。 

 

「あの、ぼ、ぼく、、ごめんなさい。 とっても悲しいお話でした。僕も、、悲しいです」 そう言うと脳腫瘍の男まで泣き出してしまいました。 

 

大の大人が真夜中のフロリダの別荘で塩むすびを食べて泣いている。

 

 政界のドンは 「おいおい、お前さんまで泣く事ないだろ?」 

そう言うと、くすっと笑いました。

 「なんだかな。お前さんといると俺の調子が狂っちまうな。ワッハハハ! うん。旨いぞ!今まで食ったどんなご馳走より旨いぞ。 お前さんの塩むすび。 もう2~3個食わせてくれ」 

 

政界のドンの言葉に脳腫瘍の男は泣きべそかきながらも 「はい。」そう応えると泣きながらも塩むすびを握ったのでした。 

 

誰も悪いことするために生まれてきたわけではありません。 そして、気づきが遅くとも きっと「お結び」だけで 何か大事な感覚をを取り戻すのかも知れません 

 

そんな「お結び」のような気づきは いつだって 「そこらへん」にあるのです 

 

つづく