脳腫瘍の男⑰

長旅の疲れか、政界のドンはブランディを飲んで直ぐに寝てしまいました。 

 

脳腫瘍の男は同じような景色が過ぎてゆくのを黙って眺めていました。

 賑やかな街中は歩いてる人達は開放感に溢れ楽しそうに見えました。 

暫くは街の灯りで海が見えていました。 車はハイウェイを真っ直ぐ走っています。

 物凄いスピードで走ってるのに進んでる感じがしません。

 ハイウェイとは、そういうものです。 

 

脳腫瘍の男は目を閉じて夢の中の恋焦がれる人と逢える事を楽しみにしていました。

 不安もなく、きっと逢えると確信していました。 

でも、まさか、こんなに遠くまで逢いに来る事になるとは彼自身も思ってもみなかったことですけど。 

 

脳腫瘍の男は何度も時計を見ました。 

「まだ、あれから30分しか経ってないや・・・」

 同じ景色が過ぎ行く中、変化を感じられるのは秒針だけですから、ついつい時計を見てしまいます。 

 

「どれくらい走ってるのだろう?相当長い時間走ってるように思えるけれど、」 

お付の人も運転手も一言も喋りません。 

 

テレビもあったのだけど脳腫瘍の男は見る気になれません。 

 

彼の心は夢の中で見た女性の事だけしかないのです。 

 

いつもの彼ならこんな時間でも、何もする事がない時間でも楽しく過ごす事が出来ます。

 絵を描いたり想像に耽ったり、ちゃんとスケッチブックも持っているのだから、

いつものように絵を描いていれば時間はあっという間に過ぎます。 でも、絵を描く気分になれませんでした。 

 

それでもスケッチブックを開きました。 飛行機の中で描いた夢の中の女性の絵、その前に描いた夢の中の女性の絵、その前の前に描いた夢の中の女性の絵。 

 

そっくりに描いてるのだからどれも同じ絵だけれど、一時期は毎晩毎晩彼女の夢を見たほどですから描く度に細かい部分まで描かれるようになったのです。 

 

でも、スケッチブックの絵の景色に似た景色に相変わらず近づいていません。 夜中のハイウェイは誰にとっても長く感じるものです。 増してや脳腫瘍の男には、もっと長く感じた事でしょう。 

 

夢であった女性と本当に出会えるのかもしれないのだから。 

 

 

郊外の別荘に到着するまで脳腫瘍の男は眠ったつもりはありません。 なのに夢を見ました。 起きてるのに目の前に映像が浮かびました。 

 

夢なのでしょうか? 

 

彼が見たのはいつも夢に出て来るあの女性でした。 

でも何かが違うのです。 

いつも微笑んでいるのに・・・。 

悲しい表情の彼女の顔。

 今にも泣きそうです。 

手には手鏡。 

 

「何故、悲しい表情なんだろう?いつも僕が見るあの人は微笑んでいたのに。」 

 

つづく