脳腫瘍の男23話

車椅子を後ろのトランクに入れ

街に繰り出した脳腫瘍の男と彼女。

 

慣れない道に慣れない外車の運転でしたが

脳腫瘍の男の心はうきうきしていました。

 

彼女は窓を開けて

久しぶりのドライブに風の心地よさを感じています。

 

郊外だけど近くの小さい町にも

ショッピングモールやカフェやレストラン、映画館いろいろ揃っています。

 

町に着くと

早速、車椅子を出して

ショッピングモールでウィンドーショッピングをしたり

アイスクリームを買って食べたり

映画を見たり

ティーンネイジャーのデートのよう。

 

彼女の顔は活き活きと輝いていました。

まるで二人のために町があるような錯覚に陥るほどでした。

 

こんなに世界はキラキラしていたでしょうか?

生きてることは当たり前ではないのです。

失うことを目の前に、ようやく気づけるのかも知れません。

 

あっという間に時間が過ぎてゆきます。

辺りはすっかり暗くなっていました。

彼女は音楽のあるラウンジで一杯呑みたいと言い出しました。

脳腫瘍の男は彼女の体力を考えると心配になりましたが

このようなチャンスが彼女には、もうないのかも知れないと思うと

連れて行きたいと思うのでした。

 

行き当たりばったりでお店に入ると

バーカウンターもあり

ピアノも置いてありました。

 

お店は賑わっていました。

お客さんは

毛糸の帽子をかぶった彼女と車椅子をチラチラ見ていました。

 

脳腫瘍の男も彼女も

その視線に気づいていましたが

車椅子をテーブルのわきに置いて

ボックス席に座りました

 

彼女はお酒を頼みました。

彼女は「ごめんなさいね。私だけ呑んで」

と言うと

脳腫瘍の男は「僕はもともとお酒が苦手なので

呑まなくても平気ですよ

それに運転もあるから

今日はお姫様のお付きで来たんですよ」

と笑顔で応えました。

 

二人は乾杯しました。

「今日はありがとう

私だって年頃ですもの

楽しみたいのよ。

でも、一人で街には来れないわ

誰かに頼むのは心苦しいの。

だから、こんな風に

昔のように

こういうお店に来てお酒が飲めるだなんて奇跡だわ!」

彼女は喜んでいましたし

脳腫瘍の男も、その言葉を聞いて嬉しかったことでしょう。

 

その時、

酔ったお客さんが

「ここ病院じゃなねーよな?気分悪い」と

脳腫瘍の男と彼女に聞こえるほど大きな声で言いました。

 

他のお客さんも聞こえたようで

賑わっていた空気も

急にシーンと静まりました。

最悪の雰囲気です。

 

さっきまで笑顔だった彼女はうつむいて黙ってしまいました。

 

脳腫瘍の男は立ち上がり

ピアノに向かって歩きました。

そしてお客さんに向かって言いました。

 

「今から僕は彼女にプロポーズします!」

 

シーンとしていたお客さんは、どよめきました。

 

「あなたに捧げます」そういうと

即興で彼女への思いを唄にし

弾き語りをしました。

 

「毎日、夢に見るあなた。

僕はずっとずっと出会う前から好きでした。

どうして、あなたを好きなのか僕にもわからない。

理由なんてない。

一生貴女のそばにいるから

誰が何と言おうと

あなたは僕にとって美しい人」

 

あまりにも素晴らしい演奏と唄に

感動したお客さんたちは立ち上がって拍手をしました。

彼女は突然の唄のプレゼントに

少し驚いて感動して泣き出しました。

 

お客さんの一人は、お店に

「今日は俺のおごりで二人に美味しい酒作ってやれ!」と言うと

他のお客さんたちも二人を祝福するように拍手しました。

店員さんも気をきかせて

ピザを持ってきました。

 

彼女は涙を拭きながら

くすっと笑って脳腫瘍の男に言いました。

「あなたって不思議な人

ありがとう」

 

脳腫瘍の男の演奏で

ばつが悪くなったのか

先ほど嫌味を言ったお客は出て行きました。

 

 

つづく