脳腫瘍の男⑬
さっきまでの騒動は何だったのか? 店内はいつものお店の雰囲気に戻っていました。 何もなかったかのように皆お酒を飲みながらジャズの演奏に聴き入っています。 どの人の顔も楽しそうです。
政界のドンは様子を入り口で見ていたのですが、 店内に入る頃合を見失ったかのように入り口でぽつんと立っていました。 と言うより、 先ほどの脳腫瘍の男の演奏に感動したままだったのです。
入口には絵がありました。 そう。脳腫瘍の男が描いた絵が飾ってあるのです。 政界のドンは誰の絵なのかも知らず 絵にも見とれていました。
入り口でボーっと佇んでいる政界のドンに気付いた店の主人は 「どうぞ。」と声を掛けました。 お店の主人は声を掛けたと同時に 「あ、もしかして!」と声に出してしまいました。
政界のドンは「そうだ。そのもしかしてだ。」 とニンマリして応えました。
お店の主人はあの騒動で脳腫瘍の男と一緒に来たとは思ってはいませんでした。
「亡くなった父からお話は聞いています。立ち話もなんですから、どうぞ中に入ってください。」
そう言うとお店の主人は空いてるテーブルを探してたのですが、 政界のドンは 「カウンター席でいい。あそこの方が落ち着くしな。ゆっくり話も出来そうだ。」 そして席に着きました。
ジャズミュージシャンの演奏を聴きながらゆっくりと酒でも呑んで親父さんの話でも聞こうじゃないか・・・? あー!なんだ! あいつ、今度はギター弾いてるじゃないか?!」
そうです。脳腫瘍の男は本当に楽しそうにギターを弾いてました。 ジャズマンの仲間達も久し振りに彼と演奏できるのが楽しくて仕方ないと言う様子です
「三味線でも驚いたが、さっきはピアノであの騒動を丸く治めて次はギターか? しかも、あいつめ、いいギター弾きやがる。 なんで、あんな才能があるのに2流3流の会社でサラリーマンしてるんだ? わけが判らん?」
お店の主人は 「そうなんです。彼には信じられない才能があるんですよ。 うちに来て時々ピアノを弾いたり、バンドとセッションしたり演奏しに来るんです。 常連さんの中には彼の演奏が聴きたいと仰る方も多いんですが、 定期的ではないし、彼が目的で足しげく通うお客もいるんですよ。 ギャラもいらないと言うし、 逆にお礼をしたいと言って、ほら、入り口の絵、覚えてますか?あれも彼の作品で、演奏ができるお礼にと言ってわたしにプレゼントしてくれたものです。
「彼には絵にも才能があるようですね。」
その事を聞いた政界のドンは更に驚きました。 「この絵はあのバンド連中の顔にそっくりだ。 あいつはデッサンとか絵の勉強でもしたのか?」
お店の主人は 「違うみたいですよ。 しかも、この絵はバンドのメンバーに未だ逢っていない時に描いてわたしにプレゼントしてくれたのです。 一瞬背筋がぞーっとしました。 彼には他にも優れた才能がきっとあるのでしょう。 あれ?彼とはお知り合いですか?」
「うむ。俺の命の恩人だ。」 政界のドンの応えにお店の主人の頭の中は「?」マークしか浮かびませんでしたが、 それ以上は突っ込んで聞かないのが店の主人たるマナーです。
政界のドンも、お店の主人と共感するところが多々あります。 若い頃よく遊びに来た懐かしい思い出のこのお店に連れて来たのは脳腫瘍の男ですから。
ふっとあの頃を思い出した政界のドン 「ところで親父さんが死んで店畳んじまったって聞いてたけど、こうやって又何十年も経って同じ店で酒を飲むとは不思議だな。」
「はい。実は父が亡くなって直ぐお店を閉めました。
母はジャズを憎んでいましたから。
と、言うより、お酒を憎んでいたのでしょうね。
父は戦争が終わって帰って来て直ぐ酒が飲めて楽しめる場所を作りたいと言って 借金してお店を建てたんです。
元々ジャズ愛好家の父は高価な楽器を買ってジャズの本場のアメリカ人でなければ嫌だと言い張り
黒人ミュージシャンを雇っていたのです。
お店は大繁盛したそうですが、そのお金もすぐに使い込んでしまう有様で、
時々、父がお酒で暴れ出したり女遊びにお金使い込んだり、
それでも母は必死に借金を返すために血のにじむ苦労をしましたから このお店に愛着などは全くなかったのです。
年の離れた兄が2人いますが、やはり2人ともジャズを嫌っていました。
母の苦労を見ていたからでしょう。
わたしが産まれた頃には、父はもう肝臓をやられていましたので、もうお酒も絶っていましたから、
母や兄たちのようにジャズにもこのお店にも嫌なイメージはありませんでしたし、
よく父のお店に行ってはミュージシャンに可愛がってくれた思い出しかありません。
父はほとんど家には帰って来ずお店の裏で寝泊りしていたので、わたしもよく遊びに来たまま泊まる事もありました。
でも、その度に母からは厳しく叱られましたが、
父はもう身体が弱くなっていたので高校生の時にはお酒を作ったり運んだり手伝っていました。
勿論、わたしは未成年ですから、本当はいけない事ですけど。
わたしだけは、父が愛されてたことをよく知ってましたから。
でも、わたしは父が亡くなったときは未だ学生でしたし、
兄たちは2人とも一流企業に就職し家族を持っていましたから、
お店を諦めるより他なかったのです。
わたしも母の願いどおり一流企業に就職し、所謂企業戦士でした。 毎晩、接待やら何やらで帰りが遅く休日も上司とゴルフのお供をしなければなりませんでした。
長男夫婦は母親と同居してましたので、わたしは一人暮らしだったんですが、末っ子と言う事もあって母はよく心配で電話をかけてきてたみたいです。
でも、わたしはいつも家にいないし実家にも帰ってこないし結婚もしないし・・・と、よく小言を言われましたが、そんな暇など全くないほど忙しい毎日でした。
若いし独身と言う事もあってニューヨークの長期滞在もありました。
3年間も日本を離れる・・・と言うか母と離れるというのは、母にとって辛かったでしょう。でも、わたしは、ニューヨークにいて何処でも音楽に溢れてることが堪らなく魅力的でした。
ミュージシャンの友達がたくさん出来て嬉しかったんです。 何
だか初めて行ったのに懐かしい雰囲気を感じました。
勿論、荒んだ現状も目の当たりにし、アメリカと言う国は父が言うような憧れとは程遠い物だという事も知りました。
でも、音楽だけは煌いてた。 色んなお店で生バンドが演奏していました。
皆、有名でも何でもないのに、当たり前のように素晴らしい演奏をしていたのにも驚きました。
そして、どうして日本にはこのようなお店が少ないのだろう。
そんな気持ちを抱きつつ日本に戻って来ました。
勿論帰って来ても毎日が戦場のようでした。 ある夜、いつもより早めに仕事が片付いた日があったんです。
丁度以前、父のお店があった場所の近くだったので、今はどうなってるんだろう? そう思って見に行ったら、
未だ空き地だったんです。
おかしいなぁと、その時は不思議に思ってたんです。
あんないい場所、特にバブルだったし、誰かが買い取って何か違う物が建ってるのだろうと思っていたので。
母に聞くともうあの土地は売ってしまった。
と言うので誰に売ったのか聞いたらお店の常連客だったのです。
常連客の中にはとんでもない資産家やあなたのように総理大臣になった人までいらっしゃると言うことは父には聞いていました。
でも、何故あのまま空き地になってるのか不思議で土地を買い取った常連客に逢いに行ったのです。
勿論わたしもよく知ってるお客さんでした。
そして一言わたしにこう言ったのです。
『あのお店をもう一度やってくれないかね? ずっといつかキミが逢いに来ると信じて待っていたのだよ。』
わたしは驚きました。
本音を言えば、わたしは父のお店を継ぎたかったのです。
でも、母を悲しませたくなかったのです。
それに右も左も未だ判らない学生でしたし、父のようにやっていける自信などありませんでした。
その人は更にこう言ったのです。
『戦後、皆必死で働いたんだ。 でも、あの店は他より酒が安かったし、生バンドがいて思い切り騒いで、また翌日必死になって働く原動力だった。
あの頃、あの店に救われた人は多かったんだ。
もう一度あの店をやってくれないか?
自分は一人身だ。
金はあるが死んだらあの世に金なんて持っていけやしない。
金持ちの老いぼれの最後の夢をキミに託したい。』
父が憧れたのはアメリカではなくジャズと言う音楽だったんです。
本当の目的は疲れた人たちに一曲でも良い演奏を聴かせたかっただけなんです。
そして安くても旨い酒を。
その時父の想いがようやく判ったんです。
10年間も空き地になったままでは可哀想ですからね。
また父に代わってわたしがこの店を続ける事にしたのです。
バブルもはじけ、危ない時期もありましたけどね、
あれから、可愛がってくれた常連客や近所の人のお陰でやって来れたようなものです。
すみません。
何だかわたしの話の方が長くなってしまいましたね。」
政界のドンは
「いや。いいんだ。親父さんも嬉しがってるだろうよ。
俺にとっても若い頃このお店は刺激的で楽しかったもんな。
親父さんはもっと豪快な男だった。
若い頃の俺は憧れたもんさ。
よく、酒もつけにしてくれてたしな。
あれ?つけ、払ってないまんまだ!あっはっはっは!」
お店の主人はこう言いました。 「わたしは父とは性格はまったく似てませんから、今日のお代はつけにはなりませんからね。」
政界のドンは 「この不景気も俺らのせいだからな。 そりゃ、つけ払わなかった分は罰金だな。」 そう言って大笑いしました。
つづく