脳腫瘍の男③

脳腫瘍の男は、とってーも長いので途中割愛しますね。笑

 

ほんとに、ふっと思いついて書き留めたもので途中途中、おかしいところはあるけど気にしないでね!

 

脳腫瘍の男③

 

病院には 両親も駆けつけました。 

脳腫瘍についても医者に説明しました。 

脳外科病棟に移った彼。 

未だ意識は戻っていません。

寝顔は苦痛の為か歪んでいました。

 

 早速、MRIで調べる事にしました。

 「なんだ?この大きな腫瘍は!?」 医者達はびっくりしました。

 「今まで何の症状も障害も無かった方が不思議だ。」 

以前のカルテも取り寄せ、

「以前より肥大している。それが理由で、他の脳組織に影響を及ぼしたのだろう。

頭痛で気を失って当然だ。

このまま、目を覚まさないかもしれない。 

 

「しかし、なんだ、この腫瘍は血の塊でもない。 

こんな脳腫瘍は見たことがない。だが、これは、とても取り除ける場所じゃない。

危険過ぎるが、とりあえず、この脳腫瘍を直接調べる必要がある。開いて調べてみよう。」 

 

そして、彼は外科医の手に委ねられたのでした。 

彼は気を失ってる状態のまま、麻酔をかけられました。 

そして、頭を丸坊主にされ、初めて脳腫瘍の実物を医者達が垣間見る事になりました。 

 

難しい位置にある為、医者達はかなり敏腕の外科医に頼みました。

 彼の脳と身体に大きな負担が伴う為、

時間を掛けられない上、

神経を研ぎ澄まして、メスを握る医者達。

 

 なんとか、無事に脳腫瘍の所まで上手く辿り着きました。 

「なんなんだ、これは?」 

 

そこには玉虫色と言えばいいのか、ありえない色の綺麗な脳腫瘍でした。 

 

医者達は悩みました。

とりあえず、肥大した分だけでも除去したいのだが。 

危険すぎるが、調べてみたい。こんなのは初めてだ。

 少し切り開いて調べてみるか。」 

 

そう言って腫瘍をメスでほんの少し、切った途端、美しいエメラルドグリーンの光に医者達は目を疑いました。

「なんだ?これは!」医者達が唖然としていたら脳腫瘍の中味が零れてきました。

エメラルドグリーンの液体。

「中味は液状のものだ。とりあえずは縫合しよう。

注射器で吸い取れば、除去は出来ないがなんとか元の大きさに戻せる。腫瘍全摘出は無理だ。」 

 

始めてみる物質に、驚きながらも、患者の身体の負担を考えると、即急に判断しなければならない医者達。

初めて見る不思議な脳腫瘍。

医者達も「落ち着け」と自分に言い聞かせて、

「後であの液体はなんなのか。調べたいだけ調べられる。」

 

彼は一週間眠り続けました。 

彼は子供の頃からよく夢を見ましたが、

今回一週間眠り続けた時、

不思議な夢を見ていました。 

 

**********

 

何処の場所か、判らないけれど、白い大きな建物。

 

病院のように見えるのですが、窓から微笑んでこちらを見ている外人さん。

 

その外人さんは、毛糸の帽子を被っていて、

とても華奢で首や腕が印象的な女性でした。 

 

夢の中でなんて美しい人なんだろう。そう思ったのは、初めての事でした。 

 

でも、見た事もないし、会った事もない女性でした。

 

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両親はこのまま、目を覚まさないのではなかろうか。

と、諦めかけていました。

 

産まれた時から腫瘍のあった息子の親として、

いつか、こんな日がくるかもしれないと腹をくくっていました。 

 

一週間後、彼は目覚めました。 

でも、とても気分が悪く、頭が痛いのは治りませんでした。

 

 医者達は肥大した脳腫瘍が脳自体を圧迫して頭痛が起こるのだと思っていたので

、何故気分が悪く、頭痛を起こすのか、判りませんでした。 痛み止めの注射をしても彼の頭痛は治まりません。 

 

寝覚め手喜んでいるものの、

心配そうに見つめる両親を見て彼はおもむろに、

メモ用紙を正方形に切り、折り紙を折りました。 

 

小さい頃、お母さんに教えてもらった鶴。 折っている間は頭痛が和らぎました。 

 

彼はいつも悲しい事や辛い事があると、

子供のときから何だか無性に何かが創りたくなるのでした。

 

唄う事も演奏も絵も料理も泥遊びですらも、

彼にとっては自由に創造力を発揮出来る楽しい作業でした。 

 

想像の世界も表現できるので、とっても楽しい作業でした。 

 

目が覚めて、喜んでいる両親の為に、鶴を折ったのです。

 

 彼はメモ用紙で、作った事もない物までどんどん折り始めました。

 彼は子供の頃から動物や虫達、花や木々、そして両親の絵を描いたり、

粘土やら自分で考えつく物は手当たり次第、想像の世界もそういった皆の家にある物で作るのが大好きでした。

 

 絵が上手だったので、 「両親が油絵描いてみたらどう?キャンバス買ってやろうか?」

と彼に尋ねましたが、

 彼は「家にある物や、拾ってきた物で、十分だよ。」と応えました。 

 

脳腫瘍の男は美術館に行った事はあるのだけれど、

綺麗だし面白い作品が沢山並んでましたが、

あまり興味を持ちませんでした。 

 

彼は身近にある些細な物で、十分、感動出来る少年でした。

 

彼はメモ用紙で色んな生き物を折りました。

 

 頭痛が、急に止みました。魔法のように、頭がすっきりしました。 

 

別にこれと言って何の症状もありません。 

 

彼は個室だと、もう、年金暮らしの両親に経済的に負担をかけてしまうので、

個室じゃなく、集団病棟に移して欲しいと医者に頼みました。

 

医者達にとっては、「とんでもない!キミの脳腫瘍は調べた所、どの生き物にもない物質なんだ。

特別なんだ。何が起こるかわからない爆弾をキミは持っているんだよ。」

 

それでも、彼は頼み込んで、医者達は根負けし、仕方ないので集団病棟に移されました。 

 

ルームメイトの中には身体も動けず表情も読み取れない重度の患者もいました。

 

 脳死ではないので、点滴だけで生き延びている患者もいました。

 

その患者の親御さんは、心身ともに疲れきっているように見えました。 

 

彼はその重度の患者さんの心は健康で、逆に自分の親の心配をしていると、感じました。 

 

どうして、そう感じたのかは、判りません。 

 

彼は急に両親に絵の具と筆を買ってきて欲しいと頼みました。

 

 滅多に、物を欲しがらない息子。

両親は急いで買ってきてやりました。 

 

彼は沢山作ったメモ用紙の折り紙に色を塗りました。

 顔も描きました。 

何の生き物かは彼の想像する世界の生き物ですから、

本人は「牛を作ったつもりなのになぁ。こんなのが出来ちゃった。」という具合で、ただ無心に赴くまま作った謎の生き物の折り紙達。だけど、本当に動き出すんじゃないか、と、感じさせる折り紙でした。 

 

それを、重度の患者さんとルームメイトにプレゼントしました。

 

顔の筋肉すら動かなくなった患者さんが、ほんの少し、微笑みました。 

 

それは今まで見てきた医者達や親御さんでなければ、気が付かないほどのわずかな微笑みでしたが、

親御さんは直ぐに気が付きました。 「家の子が笑ってる!」 他の患者さんも、大喜びしました。

 

彼は病院は静かにしていなくちゃいけないと重々、判っていましたが、

小さな声で即興で唄を唄いました。 

 

脳に障害を持っているルームメイト達、何年も涙も零したことない患者さんもいました。 

 

それなのに、その患者さんが涙を流しました。 そして、重度の脳障害で寝たきりの患者さんが、誰が見ても微笑んでいると判るほど、しっかり微笑んでいました。

嬉しいのか、その患者さんも涙を流していました。 

 

彼は最初びっくりしました。 

 

自分が唄った事で皆が涙を流すので悲しませたのかと思ったからです。

 

 面会時間だった為、家族の人か、友達なのか判らないけど、

勿論、ほったらかしにされた患者さんもいましたが、

全員が涙を流したので、

余計に自分はいけない事をしてしまったのかなと反省して、

しょぼんとした瞬間、

親御さんやお見舞いに来たお友達が彼のところに集まって、

皆が彼にお礼を言いました。 

 

なんでお礼を言われるのか判らない彼。

きょとんとしてしまいました。 

重度の脳障害で長年介護でやつれきった親御さんが泣きながら

「何年ぶりにうちの子の笑っているのを見ました。心を打つ唄でした。この折り紙も息子はとても、喜んでいます。ありがとうございます。」と、

言われ泣いている理由がやっと、判りました。

 

彼自身も産まれた時にはもう、しっかり脳腫瘍がありました。

 両親も、いつか、なんらか症状が出るかもしれないと教えられていましたが、彼はもう28歳。

28年間、病気ひとつせず、脳に腫瘍があるだけの事と思って生きてきました。 

とにかく、健康でいることが何よりの親孝行だと思っていましたが一生懸命、

愛情いっぱいに育ててくれた両親に何かしたい。。と悩んでいました。 

 

でも彼の両親がお金を欲しがらない。 自分のために使いなさい。と言う。

でも、彼はあまりほしい「物」がないのでした。

壊れたものは何でも直してしまえる。修理する能力も「創造」の力だったのでしょう。

 

「一番の親孝行はなんだろう?」 

 

「きっと、孫の顔が見たいだろうに。僕はもう28歳だ。 それなのに、僕は性欲も湧かないし、恋をした事すらない。 孫なんて、、とても。。。。」 

 

50歳で彼を産んだ両親はもう、おじいちゃん、おばあちゃんです。 

でも、本当のおじいちゃん、おばあちゃんにもなれない。

 愛情いっぱいに育ててくれた両親に何かしてあげたい。 

「僕はなんて親不孝者なんだろう。なんで僕は女の人に興味がわかないんだろう?」

 

つづく